秋も深まり衝撃的な出来事が私を襲う
10月からの1か月は、かなり順調だった。
まず、確実に、抗うつ剤は止めることが出来た。
わずか、3ヵ月で克服した俺は、本が書けるのではないかとうぬぼれていた。
事実、私の状況をしてっている人には、「俺はタフ」を吹聴していた。
また、徐々に、睡眠剤からの離脱を始めた。
マイスリー10mmを半分に割って飲み、ダメなら、グッドミンか
デバスを追加という風にしていた。
飲まなくても大丈夫な日もできたので、もしかしたらと期待した。
相変らず、覚醒は4回も5回もしたのだが。
通算で6~7時間は寝られるようになっていた。
間違いなく、良い方向に進んでいるのが実感できた。
そんなある日の出来事だった。
仕事場に行ったら、上司が私の肩をツンツンとつついたので、
たばこ部屋(私は吸わない)に一緒に行った。
そこで、彼は私に言った。
「お前の部下だった〇〇、ほら中国に出張に行っていったあいつ。死んだぞ。」
「宿泊所の、ベットで冷たくなっていたとさ。死因が分からなくて、現在
中国当局も調査中で、社長の決定で、まだ原因がはっきりするまで伏せておくことになった」
「お前の部下なのに、知らせないというのは理不尽だと思い話をしておくから。」
!!!!!!!! この話は、かなり私にとって衝撃だった。
とてもシャイだったが、いいやつで、言われたことは素直に、何でもこなそうと
する奴だった。また、それ以上に、人間ってこんなに簡単に、死ぬんだ。と思った。
しかも、俺の二周り(20年)くらい下の若者なのに・・・・・
この出来事は、色々な意味でショックだった。
しかも、彼の母親をある事から知っていて、彼は母一人、子一人の母子家庭である。
母親の事を思うと、非常に悲しくなった。感情だけでなく、体も異常に反応した。
実は彼の父親も、突然死だったという事は後から知った。
この出来事から、また夜寝られなくなった。
無駄だとは知りつつ、人生について、考えてしまった。
生きているという事に何の意味があるのか。
しかし、俺が死んでしまうと、子供たちはどうなるのだろうか。
いやまてまて、それ以上に、仕事も割としんどい、精神状態もしんどい、
むしろ死んだほうが、楽なのではないか。
頭をぐるぐる回り寝られない。そうすると、次の日しんどい。
さらに2日寝られないと、トラウマから、まあの状態が再発するのでは
ないかという恐怖。これらが、一度に襲ってきた。
しかし、ここで踏ん張ったのは、抗うつ剤には二度と手を出さなかったことだ。
睡眠剤だけを1か月飲み続けた。寝ることによって、次の日少しは、なんとか乗り切れた。頑張って、ジョギング、筋トレ、自律神経訓練法は続けた。
11月からの1か月は、私の中で、精神状態と戦っていた。
そのかいあって、12月になると、徐々に落ち着きを取り戻してきた。
やはり、時は癒しの力を持つなと実感した。
しかし、逆にこの衝撃から、学んだことがある。もし、もっと重要な人、例えば、母親、妻、子供に何らかの事件があった場合は、今は、とても耐えられない。それは、確かだった。