メンタル壊してからこれからの人生を考えるblog

メンタルがいかれたので、それを克服するため、または慣れるためによしなしごとをヅラヅラ書き連ねるブログ

ブログが現状に追い付いた

今年の7月初めからからブログをはじめた。

 

それは、この1年自分に起こったことを把握し、どう対処したか、

どう考えたかを、書いて残しておくためである。

また、自分はどういう状況なのかを、認知するのは、とても

うつ病などの心身疾患の治療によい事らしい。

 

だから、ちょっとづつ書いていたら、あれだけしんどい思いをしたのに、

もう、過去が、現在に追い付いてしまった。

 

そんなに、自分の周りに、世の中変わったことは起きないし、大変だと思うことも、

それが、生活に組み込まれたら日常になるのだろう。

うつ病になりました。会社辞めました。今ニートもしくは、

休職中です。」みたいな、壮大な感じのものも、結局日常になったら

書くことは、あまりないのかもしれない。

つまり、いつも「今日ハローワーク行きました」みたいな日常になるだけ。

 

確か河合我聞の事が、ヤフートップになって、そこから、Hatena

の存在を知った。書いてみた。張り付け方も覚えた。

アフェリエイト申請をアマゾンにしたら、断られた。

別に、金儲けで始めたわけじゃないけどさ.......( ;∀;)

 

でも、できることが増えている気がする。

よい方向に進んでいると感じている。

 

今日から、1泊で、家族旅行に行ってきます。

昨日、嫁が職場での、つまらんことで、キーーーーーとなっていて、俺の心をかき乱し、

「明日、長距離俺が運転すんだぞ⚓」

「今日寝られなかったらどうすんだコラ⚓」というつまらない

日常を、マイスリー5mm(5日ぶり)を投入し、5時間の睡眠でなんとか

乗り切れそうです。いまだに、眠剤に頼るという日常からは

脱出できそうにありません。

それでは、行ってきます。 

病は気からが本当だった件について

昨日ダラダラと朝、テレビを見ていると、羽鳥アナ司会の

モーニングショウで「ストレスは病気の原因になるという事が証明された」

とあった。

 

うろ覚えで申し訳ないが、何とか大学の教授が、マウスを使って証明したらしい。

マウスを寝かせない→ストレスがたまる→免疫作用が脳に行く→脳から臓器へ炎症

 

みたいな流れであった。

 

脳に入らないはずの、免疫力がストレスを感じると

脳に浸透し、その体に有益であるはずの免疫力が血液を通して、各臓器へと

運ばれ、そして各臓器が炎症し、何らかの不具合を起こさせる。

 

寝かせてもらえないマウスに同情しつつも、

なんとなく気づいていたことを、公に証明してくれたのは、うれしい。

やはりなという感じとともに。

 

しかも、ストレスの与え方が、寝かせない!!なんか、これびくっとくる。

こっちは、寝られないだけどね。

 

これによって、臓器に炎症を発生させ病気へとなるのは、確実によくわかる。

実は、自分の父親は、癌で69歳で亡くなっている。現代としては、とても早い

お迎えだったと思う。その父は、退職前58歳くらいに、仕事で大変なストレス

を負っていた。その2年後、大腸がんが発覚。手術をして、その後転移が見つかる

まで約10年くらい存命した。しかし、最後の2年間はとても苦痛だったようだ。

(離れて暮らしていたので、母から聞いた)

 

逆に、私の母親は、あまり物事を気にしない人で、私も彼女から叱られた記憶が

あまりない。常に、「何とかなるし」というような人で、今でもぴんぴんしている。

父親が亡くなってからは、友達と好きなことをして生活をしている。

 

病は気から! 病は気から! 病気は外からやってくる!

 

ばかばかしい仕事は止めにして、家庭はなるべく

円満に、子供は自分の人生ではないと認識し、手に入らないものは早々に

あきらめ、自分が好きなものだけに集中した人生を送ろう。

 

ただ一つ問題なのは、心がそういう風にできていない(コントロールできない)ことだが。

病気になって考え方が結構変わった件について

発病してから、考え方が結構変わった。

それは、誰にでもあることだと思う。

重病を患った人ほど、自分の人生観は大きく変化するだろうと想像できる。

 

私の場合も、結構変わったことがある。

 

中学、高校とそこらへんに転がっている石ころと同じような、生活だった。

だから、今でいうところのリア充さんではないし、特にこれという思い出もない。

しかし、プライドばかり高く、学生の階級では下であったろうに、頭の中は、

いつも、周りの連中をバカにしていた。

そして、学生の頃、浪人して大学に入学した事が決定的となった。

つまり”振り返ったときに何もない自分を発見した時”

びっくりするほど、焦った。

 

無駄に時間を費やすことが、とても恐怖となった。

 

いつも、「何かをしなければ」「何かを手に入れなければ」と思っていた。

だから、大学入学してから10年間は、とにかく時間を無駄にしないように、

自分の好きなことを、思いっきりやった。恋愛もしたし、恋愛以上もしたし、

海外でも生活をした。さらに、よくいる2~3回死にかけた俺様武勇伝も楽勝で

披露できる。

 

これはこれで、非常に楽しかったし、今を生きるための原動力となっている。

よく言われているように、

「自分が苦しくなった時に、自分を鼓舞できるのは、過去の自分だけである。」

のようなものか。

 

しかし、年も取って、家族を得て、体が不調になり、先が見えてきたとき、

逆に、焦るのを辞めた・・・・気がする。

(今までのブログ内容は、必死やん。と言われる気がするが・・・)

 

休みを多くとるようになり、仕事を頑張らなくなった。

所詮、人間に生きる意味などあるのか?

と考えるようになったからだ。所詮あと数十年で、私は消滅する。

しかも、さらにその100年後は、誰も私のことを覚えていない。

 

この考えは、2つの答えを用意する。

①だから、好きなことをするべきだ。人生は限りなく短いのだから、悔いなく生きるべきだ。

②だから、のんびり、なるべく苦痛の無いように、生きればいいじゃん。大体苦痛は、

起こるかどうか分からない未来の事や、考えても仕方がない他人との比較による所

から生まれるのだから。

 

今、明らかに後者に近い。

しかし、まだ実践できていない。

前にも書いたが、英会話にも手を出したり、

隣の席の女の子と不倫すること想像したりして、明らかに①の感じを夢見たり

する。

人間とは、なんと、愚かな生き物か。と、いうのが、本当の答え。

恐怖症は自分で作り、自分で克服する。

私には2つの恐怖症がある。

それは、高所恐怖症と、閉所恐怖症である。

 

しかし、この恐怖症、生まれた時からではない。

人間は、「蛇が嫌い」などという太古からの遺伝子に組み込まれている

恐怖症はあるとしても、ほとんどの恐怖症は、後付けのような気がする。

 

一つは、おそらくトラウマになるようなことがあり、それ以来恐怖になった

場合、そして、自ら思い込みでなった場合である。

例えば、知り合いに「先端恐怖症」がいる。とがったものを向けられるのが、

恐怖であるらしい。しかし、よく話を聞いていると、研いだ鉛筆を目に入れることを

小さいころ想像して遊んでいてそうなったらしい。

 

つまり、人間の脳とは、自分で洗脳できるようにできているのだ!

という事は、治療する場合も、洗脳を解くか、逆の洗脳をしていけばいいじゃね?

と思うわけだ。

 

私の高所恐怖症は、どう考えても、あと付けだ。

小さいころ、家族と東京タワーにも上っているし、飛行機の上から、

小さくなった家や車を見るのが大好きだった。それが、どうして高所恐怖症

なったかというと、よくわからない。しかし、怖いなーという気持ちを

「俺高いところ苦手なんだよねー」などと言っていたら、こうなった。

 

私の閉所恐怖症も、どう考えても、あと付けだ。

大学生の時は、アドベンチャークラブに所属し、洞窟探検に出かけていた。

それはそれで楽しかったが、この狭いところから抜けられなくなったらどうなっていただろうか、あの時、暗い洞穴で、懐中電灯が切れたら、俺は帰ってこれなかったなどと

あとから、寝る時に考えるようになってから、閉所恐怖症になった。

とてもばかばかしい。

 

しかし、これが、私の脳は狭いところ全般が怖いのだと思うように錯覚しだしたのだ。

どういう場所か。

飛行機・いっぱいのコンサート会場・人に挟まれて座る事などである。

 

特に怖い場所は、観覧車である。狭くて、高いという観覧車は、この世で最も

怖い場所になった。実は、5年前に子供と一緒に乗った。そして、観覧車が

2周するまで気の遠くなるほどの苦痛と、地獄を味わうことになった。

 

症状は、動悸、息切れ、頭ガガンガンする。そして、膨大な恐怖が襲ってくる。

 

しかし、現在、これを避けていたが、メンタルを壊し、色々な克服方法を試すうち、すべては心の作用によってもたらせるものという事がわかってきたので、自分で治療する

事はできるのではないかと思っている。

方法は、ざっくり3つ。

 

認知療法・・・徐々に高い所に立ち、大丈夫だと脳に確認させる。

思い込み・・・とにかく、大丈夫だ大丈夫だ何も問題ないと脳に強制させる

何かにからめる(もっといい言葉あるだろう)・・・飛行機に乗った時にもやったように、深呼吸をすると、落ち着くのだと思い込む。何か特定の音楽を流していると、

狭い所でも、大丈夫と思い込む。という風に、何かと合わせる。プラシーボ効果みたいな感じ。

 

これで、パニック障害や、うつ、あがり症など克服できるのではないか、もちろん

不眠症もである。

もし、今後、私の最大の敵、観覧車を克服した時に、お知らせします。

 

 

 

東京出張に行ってきた。

夏休みの試練その2

 

3泊4日の東京出張に行ってきた。

最初の難関は、そう飛行機に乗ることだった。片道1時間30分の飛行機は、

閉所恐怖症の私にとっては、恐怖の何物でもない。この病気を発症した時も、

結局、高速バスのあの狭さに緊張して、一睡もできなかったことにある。

 

飛行機に乗って、まずやったことは、腹式呼吸である。

深く吸い込んで、長く吐き出す行為を繰り返して、何とか自分を落ち着かせた。

幸いにして、JALは最近、Wi-Fiサービスをしていて、

携帯で、バラエティの動画を見ることができる。

藤崎マーケットの「しくじり先生」は私のしくじりを救ってくれた。

 

東京での、研修内容であるが、しんどいことに、見知らぬ人と、

意見交換をしなければならない。ただでさえ、人見知りなのに、さらに、

何人もの人と、グループワークという小学生のようなことまでやらされた。

意味あんのか?と思ったが、最終的には親切な人ばかりで、よい経験になった。

 

しかし、問題は夜である。研修施設は、一人部屋だったが、枕が変わると

とたんに寝れなくなる私は、昼間の心身ともに疲れた状態でも、

さっぱり寝られる気がしなかった。そう、やはり睡眠剤を投入せざるおえなかった。

3泊は、とても長くしんどかったが、何とかやり終えた。

 

なんか、気にしすぎて、自滅している気がするが、こうやって、一つ一つクリア

していくしかないのだと思う。

この病気になって、一日一日が貴重になったのは確かだ。

朝起きて、寝られたと実感のあったときは、一秒でも時間を無駄にしないように、

動くようにしている。朝起きてだるい事の方が多いからだ。

 

ちなみに、最終日にまた飛行機に乗って帰るときは何事も感じなかった。

どころか、疲れていたのか、飛行機で寝る事さえできた。

また、その日の夜に家にたどり着いたのだが、その日は、久しぶりに、

覚えてないくらいぶりに、8時間睡眠ができた。睡眠剤なしで。

緊張からの緩和はすごい副交感神経に作用する。

ちなみに、3日間連続で今の所、ぐっすり寝られている。

いつまで持つか怪しいが、とてもよかった。

 

あと夏休みの課題は、家族旅行だ。しかし、たった1泊だけ。

今回のに比べたら屁でもない。

どうか無事に終わりますように。

私の夏休みもあとわずかになりました。

夏休みの予定

去年、思いっきりとった夏休みも、今年も、思いっきりとることにした。

なんと、7連休、4日仕事で、7連休。まじで、こう考えると、たぶん、いい会社かもしれない。

しかし、様々なものが、ブラックだけど。

 

今年も、ゆっくり休めるのはいいのだが、なぜか、

休みになるほど、緊張して寝られないというクセがあるため、

それなりに、しんどい事はしんどい。

 

そして、今回は、どうしてもクリアしなければならないことが、

3つある。それは、

1.夏休みまでに、宿泊当番がある。

2.大都会東京で、4日間の出張がある。

3.毎年行っている家族旅行に今年は行くことに決めた。

 

1の宿泊当番は夏休み前に、1泊とまって、お客さんを接待する仕事があった。

当然、逃げまくったが、しかし、プロジェクトリーダーなので、

どうしても1回は、会社の研修所に宿泊する必要がある。

でないと、部下に示しがつかないのだ。当然、自分の健康状態は、

伝えていないのだ。

 

そして、その日がやってきた。夜に見回って、寝床に入った。

なんかかび臭い布団、いつもと違う枕、いつもと違うエアコンは、

当然自分を緊張させるのに十分だった。漢方と寝られなくなったら

投入する予定だった、マイスリーを早めに起用した。

 

まあ、正直熟睡はできなかったが、5時間は寝ることができたようだ。

次の日、何とか動くことができた。

仕事が終わった後は、すぐに、マッサージ、温泉に行き、自分で自分に

ご褒美をあげた。

 

ひとつクリアできとても安堵した。あと2つ。特に、

東京出張は長丁場だ。かつ、知らない人と談笑しなければならない

おまけつき。

「なんとかなる。1年前からお前は、いつも困難を乗り越えてこれた。

今度も大丈夫だ。」

と、また、いつものごとく、思いっきり意識している。

 

 

寝る場所について

実は、妻とは寝る場所を、別にしている。

ものすごい狭い家(借家)ではあるが、子供たちが今、2人で一緒に寝ている

事もあり、空いた部屋を自分専用の部屋にしてある。

その部屋には、本や、漫画の棚があり、仕事用のスーツなども置いてある。

 

なぜ、妻と寝る場所を別にしているかというと、寝る時間が違うからである。

私は、寝つきも悪いし、時間がかかる。しかも睡眠音楽や、自律神経訓練CD

などをかけるため、一緒に寝ることは難しいからだ。つまり、寝るための周到な

準備を必要とする。

 

しかし、彼女は、全身、副交感神経でできているのかというくらい、

いつでも、どこででもすぐに、寝ることができる人だ。

だから、いつも夜中の11時ぐらいまで、ためていたテレビの録画を永遠と

見ている。土曜日、日曜日など、2~3時間平気で昼寝をして、

まだ眠たいといいつつ、夜もぐっすりと寝るモンスターである。

 

とてもこのような、モンスターと寝床を一緒にできないので、

性格(睡眠)の不一致により、お互いの平和のために、家内別居している。

 

ただ、最終的には、妻が何しようが、意識しなしで、グーグー寝られるようになるのが、目標であることは間違いない。

 

このように、用意周到に、準備して睡眠に入るのだが、一番困るのは、

出張した時や、家族で旅行したときに泊まるホテルである。

まず、寝られない。びっくりするくらい寝られない。

枕が変わるとの寝られない人の強いバージョンだ。おそらく、空間が違うという、緊張状態に置かれるからだろうと思う。睡眠剤、漢方をW投入して、時間をやり過ごすしかいない。

 

逆にどこでも寝られるようになったのは、仮眠である。副交感神経の訓練をする

文言を唱えると、どこでも、どんな場所でも寝られるようになった。

そして、15分で完璧に、目が覚める。この間は、保護者による小学生のプールの監視で、椅子に座ったまま寝た。

これはなぜか? そう、文言を唱えているときに、「眠くなる」とか、「寝なさい」

とか、そのような意識をしていないからだ。携帯のタイマーを20分かけるのだが、

「別に寝ようが寝まいがどうでもいいし」「リラックスできたらそれでいいし」

というようなことを考えながら、目をつぶっているからだろう。

 

そう、入眠の仕方を俺は手にしているのに、いまだに、それを毎夜やってくる本番で使えない。ブルペンピッチャーなのだ。