メンタル壊してからこれからの人生を考えるblog

メンタルがいかれたので、それを克服するため、または、あきらめるためによしなしごとをヅラヅラ書き連ねるブログ

その③

本屋や、図書室でその「うつ」や「パニック障害」などの

本を読み漁った。「うつ」という言葉の入った本を手に取るときは、

何故か異様に緊張した。とにかく、何をどうしていいのか、

きっかけが欲しかった。そう、薬は対処療法でしかないと

分かっていたからだ。

 

そして、そこに書かれている中で、最大公約数の手段をやろうと決心した。例えば

1.階段の上り下りや、軽いジョギングなどのリズム運動はメンタルに効く

2.腹式呼吸を行う。吸う息の2倍の量の息を吐く。丹田を鍛えメンタルに効く。

3.結局、「うつ」も「パニック障害」も自律神経の乱れから来ているのだから、

  自律神経を鍛える。

 

そこで、6月の終わりから、毎日会社の休憩時間、もしくは就業後、会社の近くにある

独身寮4階までの非常階段をダッシュした。

今思えばよくやったなというくらい、雨の日も、どんなに遅くなっても、

「絶対克復する、絶対負けない」などど、つぶやきながら、走った。

 

また、呼吸も、毎日、気が付いたら、いつも腹式呼吸をしていた。

人が多い所に行くと、胸が苦しくなるので、自分で「大丈夫だ、問題ない

などと思いながら行った。

 

自律神経を整える方法という本が、いくつか出版されている。

その中で、立原啓介というタレントのCD付きの本を買った。

寝る前に、CDを掛け、訓練を行い、やり方を学んだ。

 

6月、7月は、本当にいつ会社を休職してもおかしくないくらいの精神状態

だった。ちょっとした休憩時間を見つけては、腹式呼吸をしながら、

瞑想した。汗は、相変わらず手のひら、足の裏にびっしゃりとかいた。

 

しかし、以上の事を必死にやり、何とか乗り切ることが出来た。

 

夏になったら、有休をフルに使った。

休むの悪いなという社畜の気持ちがやはりあったが、妻に

「有給ってそのためにあるんでしょう、何のために残すわけ?

何かあったら?馬鹿じゃない。今が、その何かがあった時じゃん」

と言われ、まったくその通りだと納得した。20日全力で使った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その②

早く治したいという一心で、心療内科以外にも、

漢方の医者にも行った。待合室は女性が多かったような気がする。

私の舌をこまめに見て、

手首を人差し指で抑え、点のようなものを書き込んでいった。

 

気虚」という謎の言葉を残し、せんじ薬を処方してくれた。

 

しかし、この薬、毎日ポットで煮出さないといけない。

しかも、煮出しているとき、私の状況が分かっている妻でさえ

「くせーーーーーーーーーーーーーー!!」というくらい、

台所中、異様な匂いがたち込めた。

漢方って、おそらく胃にも負担があるらしく、一層食欲が減退していった。

 

結果から言うと、この漢方薬、とにかく手間がかかる。煮出すのに

とても制約があり、ポットは何々でなければならないとか、

煮出す時間は、何分強火、何分弱火とか、ものぐさな私には、

少し無理があった。

結局、3~4週間ぐらいで、止めてしまった。お金がかかるほど、

効果があったとは思えなかった。

 

とにかく、なんとかしたい私は、インターネット、図書館、本屋、

信頼できる人に聞きまくった。

克服他のための①

とりあえず考えたことは、そう、病院に行く事だった。

心療内科を予約し、1週間後早速見てもらった。

初めて行った心療内科、ビルの5回の一室にあるクリニック。

 

待合室は本当に小さくて、しかし、何人かが黙って座っていた。

「予約してた〇〇です」受付を済ませて、待つこと1時間。

おばちゃん(看護師?)のカウンセリングを受けた。

今までの経緯を伝えると、優しく、うなずきながら聞いてくれた。

1時間ほどで、カウンセリングを終えると、いよいよ先生に呼ばれた。

 

「なるほど、君は原因が分かっているので、”うつ”ではないね。でも

その不安を取り除くためには、同じ薬、抗うつ剤ジェイゾロフトってやつ出しておく

から、2週間後に来て、あと寝るために、マイスリーと、デバスね。」

と言われた。あっさりしたものだった。うつではないとはいえ、抗うつ剤

というのが、心にガツンと響いた。そう俺はうつ・・・・・・・・・・

 

とにかく医者のいう事は絶対。薬を飲み始めた。

あの日から

昨年の6月、結婚式で大阪に行った。スピーチを頼まれていたので、

その日、緊張してあまりよく寝られなかった。

職業柄、スピーチをなんとかこなし、そこから夜21時出発の

夜行バスに乗った。

以前から閉所恐怖症のため、このバスでもほとんど一睡もできなかった。

早朝に地元にについた私は、その足で仕事に行った。

そう、丸2日寝ずに仕事に行き、その夜、家に着くなりばたっと倒れた。

 

そこから、急に言いようもない不安感が襲ってくるようになった。

更に、悪いことに、1か月後のアメリカに出張の辞令が出た。

当然エコノミー且つ、時差でまったく体内時計が狂ったまま1

週間仕事をしなければならない。

狭い飛行機の恐怖感と、寝られないという不安感でいっぱいになり、

そのことを考えると、会社に行っても、動悸と、汗と、突き上げて

くる不安感が津波のように襲ってくるようになった。

 

その日から1日、1日が、恐怖となった。昼間は襲ってくる不安感、夜は、

「寝られなかったらどうしよう」という心配で、胸が締め付けられた。

特に明日プレゼンをして、顧客と6人面接をするという日の前日は、

「もし、今日ねられなかったら、会社を辞めよう。しかし、家族は

どうなるだろうか」と考え、文字道理死ぬ気で寝た。

 

食欲はなくなり、妻にスープを作ってもらいしのいだ。

また毎日飲んでいたビールがまずく、夕食もそこそこに、

夜8時にはベットに入るようになった。なるべく寝る時間を確保しようという恐怖からだ。

みるみるやせ細っていき、65kg→58kgになった。周りからも、重大な

病気なったのではととても心配された。

結局出張は事情を言って断った。しかし、この不安感、恐怖感は消えなかった。

 

そう、このままいくと、俺は休職、下手したら失業、家族が大変なことになる。

どうしても、この訳の分からない、状況を克服しなければならいそこから、私の戦いが始まった。