そうだ、墓参りに行こう
墓参りに行った。
そういう家庭だった。
いつも、帰省をすると墓参りに行く。
そうしないと、なんか気持ち悪いというぐらいに、
洗脳された。
今の住居から車で2時間ぐらいに、実家がある。
この時期は、桜がきれいで、天気のいい日には
墓地が満開となる。
34歳の時に父を亡くしている。その彼を含めて、
5つの骨壺が墓には鎮座している。
自分がなぜ存在しているか、墓に来ればリアルに
感じられる。いつも手を合わせて願う事は、
「この子達が、無事でありますように、
見守ってください」
これ以上言う事がない。
どうせ、人生の最大の目標は「つなげる」事だけだからだ。
大概の日本人は、無宗教であるが、先祖を大切にするという
所業はどの宗教にも勝っている気がする。特に、戒律を守る
必要がない。ただ、墓参りに行くだけでいい。
そうすれば、人類の大きな目的は達成される。
それは、子孫を残していくという事だ。
そして、個人的にも大きな目的を達成することができる。
よく言われるように
「本当に死ぬという事は、誰からも、自分が忘れられた時である」
少なくとも、墓参りをしていると、100年は忘れられない。
なぜなら、今度は、習慣づいたこの子供たちが、知らず知らずのうちに義務化
されて、墓参りを続けてくれるだろうから。
天国に行くという事は、誰にも確約されていない。
だから、目に見えることをすればいい。
そうすれば、世界は平和になるんじゃないか。少しは。