株取引は私のメンタルを破壊していった その1
男子だったらある程度、ギャンブルは好き
パンチンコ、競馬に、競輪、ボート
かけマージャンに、かけトランプ、かけ高校野球(あくまで身内で)
しかし、もっとも熱くはまるのは、株取引だ。
私が、高校時代ぐらいの時のパチンコは、「羽もの」というのがあり、
当たりを出して、6~8千円を稼いでいた。しかし、どんなに最短でも
2時間~3時間はかかっていた。
けっこう運に左右されることや、1日つぶしてしまうこと、また羽ものが
なくなり、金のかかる一発ドッカン方式になってから、ばかばかしくなり、競馬に
変わった。競馬は馬の血統なんかを調べ、適性を練る知的ゲームに思えた。
しかも、100円から遊べ、3分ほどで勝敗がわかるのが魅力だ。
大学生の時にブームがやってきて、よく週末は友達とウインズに行って、
楽しんだ。大井競馬場のナイターでグループ交際(合コン?)をしたこともある。
便利で、おしゃれなデートスポットという感じになっていた。
しかし、これも、社会人になり、止めた。せっかくの日曜日に、競馬新聞を握りしめている虚しさは、やはり耐え難い。趣味の域に達しない限り、ブームが去ると同時に、
気持ちも冷めていく。また、田舎にUターンしたこともあり、近くにウインズがないというのもあった。
そんな時に、現れたのが、株取引である。株取引は、昔から興味があって、高校時代から、新聞の経済欄の数字の羅列を、友人と眺めていた。しかし、この時はまだ、証券会社に直接行って、取引の開設をする必要があり、私のようなものには、敷居が高い気がした。とても、あの大人の場所、証券会社のドアを開けることはできなかった。
そんな時、革命が起きる。IT革命だ。株取引も、インターネットでできるようになった。早速、日本オンライン証券(現MSBC)、マネックス、など複数の証券会社を開き、取引を始めるようになった。
なぜ、株取引がそんなに魅力だったか。それは、他のギャンブルにできない大金をわずか、数年で稼げると思ったからだ。30歳で仕事をし始めた私は、すでに、仕事に縛られることに嫌気がさしていたので、35には早期リタイアできると、この時は、本気で思っていたのだ。
そう、本屋には早くも「株で1億円儲ける方法」「僕が稼いだ億トレード方法」「あなたも早期退職の夢をかなえる」とか、並んでいた。
とても、私はバカだった。