メンタル壊してからこれからの人生を考えるblog

メンタルがいかれたので、それを克服するため、または、あきらめるためによしなしごとをヅラヅラ書き連ねるブログ

閑話休題ープロテインとサプリ

どんな筋トレ雑誌、本をみても、プロテインやサプリのことが書いてある。

筋トレをしていると、当然プロテインとサプリは外せない話となってくる。

 

最初、プロテインというと、なんか筋肉増強剤のようなイメージがあった。

また、私が高校生ぐらいのときは、まずいという評判だった。

しかし、興味を持って調べてみると、プロテインとはただの、タンパク質

ということが分かった。

そう、ただのたんぱく質・・・に味付いたものなのだ。

 

そこで、プロテインを筋トレ中と、毎朝飲むようになった。

なんやかんやと、筋トレして、体の変化を実感すると、

もっとつけたい、カッコよくなりたいと欲が出てくるもんだ。

 

プロテインには主に3種類ある。カゼイン、ホエイ、ソイ。

で、肉つけたいというやつは、いろいろ考えずに、ホエイを飲めばいいらしい。

 

最初は、有名な「ザバス」By明治 を買った。

次に、「ウィダー」By森永製菓をシェーカーで飲んだ。

アマゾンのレヴューを見てもその味がどうのこうの書いてるけど、

別に正直「味」は、あまり重要ではない。

重視すべきは、たんぱく質の含有量だと気が付いた。

 

そういう意味では、筋トレの本場、アメリカ製が優れている。

しかも安い。チャンピオンとか、オプティマ、そして最近は

約4kgも入って5000円とかのリーゾナブルなものもある。

 

 

プロテインに凝ってくると、今度はいろいろとそれに付随して、

筋トレ中に摂取したほうがいいものなんてものも、気になってくる。

 

例えば、BACC,EAA,クレアチン、などである。

これら全部買うと、お金が持たないので、BACCだけ、プロテイン

混ぜて飲むことにした。しかも海外製の巨大なやつ買ったので、

半年以上持っている。

 

また、サプリもいろいろ試した。

それこそ、本当にいろいろ買った。

現在、常時残っているのは、

マルチビタミン&ミネラル」「フィッシュオイル」「ZMA」。

朝、プロテインと一緒に摂取するのが、日課となった。

 

効いているか効いていないかわからないが、とりあえず、健康管理の

王道だけ抑えた。

 

プロテイン、サプリが増えていくのと比例するように、飲みに行く回数が、極端に減った。

一回飲み会に行くと、2次会を含めて10,000円、上司としていい恰好するとその倍かかる。

そんな金があったら、プロテイン買ったほうが、はるかに費用効果が高い。

この時、”健康に勝る財宝なし” 超実感していていた。

 

次に始めたこと

 

7月の終わりに、図書館でたまたま借りた本の中に、

「マッチョ社長の~」というものがあった。

筋トレがすべてという本で、その第1Pに「メンタルが弱ったなと思ったら、フィッシュオイルとプロテインかまして、筋トレして、寝とけば治る」という文章があった。

 

こんな簡単な文章なのに、なんか心に響いてしまった。

この人のペンネーム、テストストロンは幸せホルモンといわれ、

筋トレやジョギングで出るということが分かっているらしい(すいませんざっくり)。

 

筋トレが最強のソリューションである マッチョ社長が教える究極の悩み解決法

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そこで、中学生以来、本格的に筋トレを始めることにした。

 

住んでいるところが、えらい田舎で、ジムまで車で1時間かかる。

金もかかるし、絶対挫折すると分かったているので、家で道具をそろえた。

ダンベル10kg二つ最初に買ったが、すぐに物足りなくなり、

30kgの可動式セット、5kgの鉄アレイ、ベンチ、腹筋ローラー、鏡

ヨガマットと揃えていった。全部2万~3万位したが、ジムに通うことを考えたら

安いのではと思った。のちに、ヨガボールも追加し、危うく、2万もする

懸垂機をクリックしようとするところまで行った。

 

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筋トレの何をどうしたらいいのかわからなかった私は、

筋トレ方法の本を3冊買った。

また、youtubeも見て研究した。

そして、定期購読雑誌が「Tarzan」になった。

 

英会話や、カメラ、釣りなど長続きしなかった私だが、

筋トレは文字道理死ぬ気でやった。

いくら、寝不足でも、胸が苦しくても、不安が襲ってきても、

「クソ!クソ!クソ!」と叫びながらやった。

田舎でよかった。

 

そのかいあって、胸筋が膨らんできた。また、おなかがへっこみ

ズボンのサイズが 32→28になった。別にムキムキになろうと思って

やったわけではないが、良い副産物になった。

スーツはほとんど、ブカブカで着られなくなった。

 

人間追い込まれると本気になるんだと思った。同僚が、

「最近腹が出てきてさ、ダイエットしてるんだけど、痩せないんだよね」

という言葉を聞くたび、心で思うようになった。

「それは、まだ君が死ぬかもしれないという目に合ってないからだよ。

糖尿にでもなったら本気出すさ。」by(悪魔な俺)

 

8月も終わりになって、少しずつだが、胸が圧迫される感じがだんだん薄れてきた。

不安感も取れてきた。しかし、思わぬ障害が残った。

その③

本屋や、図書室でその「うつ」や「パニック障害」などの

本を読み漁った。「うつ」という言葉の入った本を手に取るときは、

何故か異様に緊張した。とにかく、何をどうしていいのか、

きっかけが欲しかった。そう、薬は対処療法でしかないと

分かっていたからだ。

 

そして、そこに書かれている中で、最大公約数の手段をやろうと決心した。例えば

1.階段の上り下りや、軽いジョギングなどのリズム運動はメンタルに効く

2.腹式呼吸を行う。吸う息の2倍の量の息を吐く。丹田を鍛えメンタルに効く。

3.結局、「うつ」も「パニック障害」も自律神経の乱れから来ているのだから、

  自律神経を鍛える。

 

そこで、6月の終わりから、毎日会社の休憩時間、もしくは就業後、会社の近くにある

独身寮4階までの非常階段をダッシュした。

今思えばよくやったなというくらい、雨の日も、どんなに遅くなっても、

「絶対克復する、絶対負けない」などど、つぶやきながら、走った。

 

また、呼吸も、毎日、気が付いたら、いつも腹式呼吸をしていた。

人が多い所に行くと、胸が苦しくなるので、自分で「大丈夫だ、問題ない

などと思いながら行った。

 

自律神経を整える方法という本が、いくつか出版されている。

その中で、立原啓介というタレントのCD付きの本を買った。

寝る前に、CDを掛け、訓練を行い、やり方を学んだ。

 

6月、7月は、本当にいつ会社を休職してもおかしくないくらいの精神状態

だった。ちょっとした休憩時間を見つけては、腹式呼吸をしながら、

瞑想した。汗は、相変わらず手のひら、足の裏にびっしゃりとかいた。

 

しかし、以上の事を必死にやり、何とか乗り切ることが出来た。

 

夏になったら、有休をフルに使った。

休むの悪いなという社畜の気持ちがやはりあったが、妻に

「有給ってそのためにあるんでしょう、何のために残すわけ?

何かあったら?馬鹿じゃない。今が、その何かがあった時じゃん」

と言われ、まったくその通りだと納得した。20日全力で使った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その②

早く治したいという一心で、心療内科以外にも、

漢方の医者にも行った。待合室は女性が多かったような気がする。

私の舌をこまめに見て、

手首を人差し指で抑え、点のようなものを書き込んでいった。

 

気虚」という謎の言葉を残し、せんじ薬を処方してくれた。

 

しかし、この薬、毎日ポットで煮出さないといけない。

しかも、煮出しているとき、私の状況が分かっている妻でさえ

「くせーーーーーーーーーーーーーー!!」というくらい、

台所中、異様な匂いがたち込めた。

漢方って、おそらく胃にも負担があるらしく、一層食欲が減退していった。

 

結果から言うと、この漢方薬、とにかく手間がかかる。煮出すのに

とても制約があり、ポットは何々でなければならないとか、

煮出す時間は、何分強火、何分弱火とか、ものぐさな私には、

少し無理があった。

結局、3~4週間ぐらいで、止めてしまった。お金がかかるほど、

効果があったとは思えなかった。

 

とにかく、なんとかしたい私は、インターネット、図書館、本屋、

信頼できる人に聞きまくった。

克服他のための①

とりあえず考えたことは、そう、病院に行く事だった。

心療内科を予約し、1週間後早速見てもらった。

初めて行った心療内科、ビルの5回の一室にあるクリニック。

 

待合室は本当に小さくて、しかし、何人かが黙って座っていた。

「予約してた〇〇です」受付を済ませて、待つこと1時間。

おばちゃん(看護師?)のカウンセリングを受けた。

今までの経緯を伝えると、優しく、うなずきながら聞いてくれた。

1時間ほどで、カウンセリングを終えると、いよいよ先生に呼ばれた。

 

「なるほど、君は原因が分かっているので、”うつ”ではないね。でも

その不安を取り除くためには、同じ薬、抗うつ剤ジェイゾロフトってやつ出しておく

から、2週間後に来て、あと寝るために、マイスリーと、デバスね。」

と言われた。あっさりしたものだった。うつではないとはいえ、抗うつ剤

というのが、心にガツンと響いた。そう俺はうつ・・・・・・・・・・

 

とにかく医者のいう事は絶対。薬を飲み始めた。

あの日から

昨年の6月、結婚式で大阪に行った。スピーチを頼まれていたので、

その日、緊張してあまりよく寝られなかった。

職業柄、スピーチをなんとかこなし、そこから夜21時出発の

夜行バスに乗った。

以前から閉所恐怖症のため、このバスでもほとんど一睡もできなかった。

早朝に地元にについた私は、その足で仕事に行った。

そう、丸2日寝ずに仕事に行き、その夜、家に着くなりばたっと倒れた。

 

そこから、急に言いようもない不安感が襲ってくるようになった。

更に、悪いことに、1か月後のアメリカに出張の辞令が出た。

当然エコノミー且つ、時差でまったく体内時計が狂ったまま1

週間仕事をしなければならない。

狭い飛行機の恐怖感と、寝られないという不安感でいっぱいになり、

そのことを考えると、会社に行っても、動悸と、汗と、突き上げて

くる不安感が津波のように襲ってくるようになった。

 

その日から1日、1日が、恐怖となった。昼間は襲ってくる不安感、夜は、

「寝られなかったらどうしよう」という心配で、胸が締め付けられた。

特に明日プレゼンをして、顧客と6人面接をするという日の前日は、

「もし、今日ねられなかったら、会社を辞めよう。しかし、家族は

どうなるだろうか」と考え、文字道理死ぬ気で寝た。

 

食欲はなくなり、妻にスープを作ってもらいしのいだ。

また毎日飲んでいたビールがまずく、夕食もそこそこに、

夜8時にはベットに入るようになった。なるべく寝る時間を確保しようという恐怖からだ。

みるみるやせ細っていき、65kg→58kgになった。周りからも、重大な

病気なったのではととても心配された。

結局出張は事情を言って断った。しかし、この不安感、恐怖感は消えなかった。

 

そう、このままいくと、俺は休職、下手したら失業、家族が大変なことになる。

どうしても、この訳の分からない、状況を克服しなければならいそこから、私の戦いが始まった。